校長先生のお話

10日間の夏休み
2015-08-18
 久々に笠岡教会で、夏休みを過ごしました。とっても静かで穏やかに過ごせました。考えてみると1年目はミクロネシア連邦のポナペ島で個人黙想をして過ごし、2年目は、笠岡の近くにある島のうち1年目はミクロネシア連邦のポナペ島で個人黙想をして過ごし、2年目は、笠岡の近くにある島のうちの一つ高島で5日間を個人の黙想会をして過ごしていたように思います。今年は、早めに個人黙想を行うと言うことで、7月の最後の週を故郷で黙想会をするつもりでいました。
 
  しかし、予定通りにいかないのも世の常で、今年は幸いにも黙想会を行うことが出来ましたが、実はこの時期に冠状動脈の手術を行わねばならないのではないかと言うことが起こっていました。4月に受けた学校の検診で再検査として精密検査を求められていたからです。手術を受けるとすれば7月の最後の週しかありません。うまく行けば3日で退院、長くなれば1週間は十分にかかると言うことでした。内心「ああこれで、寝たままの個人黙想になるのかな」と覚悟をしていました。
 
  ところが再検査を受けて見ても何も異常が出なかったのです。不整脈や胸苦しさという自覚症状も、多分神様からのお恵みであったと思うのですが、一切ありませんでした。最後にそれを感じたのは9年ほど前の狭心症の発作が出る前まで何度となく不整脈や、胸苦しさを体験していたのです。そういうものが一切なかったことは私自身がよく分かっていることでした。でも精密検査でもそれが出なかったと言うことは、私の心に深い平和と喜びをもたらしてくれました。
 
  8月の休みは10日間でした。でも起床は同じ5時半です。朝ミサもあります。ところが1日教会に居るとなると気分が違います。いつもは、国際日と日曜日にしかいない私ですから、今日1日何をしようかと考えると浮きうきした気分になるのです。
 
幾つかこれだけはしておきたいということがありました。終わってみると、予想の半分くらいしか実行できませんでした。でも心は穏やかでした。振り返って見ると、いつも神様がいらっしゃる聖櫃と共に毎日生きているのですから、心が穏やかであったりするのも当然だとも思いました。
 
教会の前の道路は、連日島へ渡る人たちの車や人でごった返しでした。海水浴、帰省、その他もろもろの用事で船に乗る人をぼんやり見ていたことがありました。たくさんの人の色んな姿を眺めているうちに、それぞれの人がそれぞれの人生を歩んでいるのだろうな。私は今をどのように生きているのだろうかなどと考えさせられたりと、飽きることのない日々であったようです。
 
私は、この休みの間自分の荷物の整理と共に、ミサの時に使う祭壇のローソクを何とかして残ったローソクのカケラで再生できないものかと考えていました。振り返ってみると、私が赴任した教会でも、幼稚園でも懐が豊かな任地はわずかしかありませんでした。新しいローソクを買えばよいではないかと単純に考えることが出来ない状況だったのです。思い出すと私がいた修道院も、そうやって再生したローソクを使っていました。いいかげんなものを作るのであれば、どうやったとしてもできるでしょう。でも祭壇で使うローソクとなれば見た目にもしっかりしたものでなければなりません。
 
でも最低でも平日のミサの時に使えるくらいのローソクは作りたいという気持ちがありました。それで薄い鉄板を買ってきて中にローソクを包んで丸くして周りをガムテープで固めて見ました。ローソクを抜いて下をやはり鉄板で丸く包んでみました。そして溶かしたローソクを入れて見ましたが、固まるのが遅く、鉄板の隙間からロウが漏れるのです。コンビニで買ってきていただいた氷を入れたバケツに入れてようやく落ち着きました。聖母被昇天祭のミサが終わって一緒に手伝ってくださった方たちと共にようやく一本だけローソクが出来上がりました。不格好で何とも言いようのないろうそくでした。
 
どうすれば、しっかりとした見た目にもいびつではないローソクができるかという課題について皆で考えているうちに、「神父様、石膏で型は作れないでしょうか?」という意見が出てきました。かなりの高熱に耐える石膏がネットに出ていますという意見です。かつて中学生の頃、粘土で型を取り、その上に石膏を掛けて石膏を乾かし乾いた石膏に丸く突き刺していた下敷きの破片を抜き取って、そこから粘土を抜き、石鹸液を流し込んだ後で、あらためて石膏を流し込みそれが乾いて、周りの石膏を取って美術室においてあるような石膏の像を作った記憶が甦りました。
 
多少の工夫は必要だけれども、もしかしたら可能性があるかもしれないなどと考えているうちに夏休みが終わってしまいました。
創意工夫という知恵も神様が下さるのだと思わずにはいられません。日々祈りの中で過ごすと言うことは、生活の隅々にまで神の知恵がはたらくためであるということなのだとあらためて感じたようにも思います。
 
校長 山口道晴