校長先生のお話

クリスマスの心
2014-12-03
 早いものでもう12月になりました。今週の日曜日の「待降節第一主日」をもってカトリック教会の新年となりました。キリスト教では、一年が待降節から始まって「王であるキリスト」の主日の週を持って終わります。ひと月早い年末です。4回の待降節の日曜日を経て、24日のクリスマスを迎えることになります。
 
  クリスマスは、昔から人々の心を温める不思議な時だとも言われています。クリスマスが商業ベースに乗る前から、キリスト教ではクリスマスがお祝いされていました。前にも述べましたが、12月25日と言う日は、ローマ帝国内でのミトラ教の影響であったと言う風に言われて、クリスマスは、2000年近く毎年お祝いされているのです。
 
  もうずいぶん前のことですが、東京で淀川長治さんと言う有名な映画評論家の方と雑誌の編集長繋がりで懇意にさせていただいていた時に、彼から勧められたクリスマスの映画がありました。アメリカが作った映画の歴史に残る「ポセイドンアドベンチャー」ともう一つその当時の題名は「クリスマスの贈り物」というやはり同じアメリカ映画でした。
 
  今考えると、「ポセイドンアドベンチャー」は、当時の人には人気のあった映画でしたがもう一つは、ずいぶんとマイナーな映画だったようにも思います。ですが二つの映画とも見事にクリスマスの心を言い当てているように思います。淀川さんは、「ポセイドンアドベンチャー」については、「ポセイドン号が座礁して、船の中の中央に立てられていたクリスマスツリーが、船の転覆と共にひっくり返ってしまうシーンの中で、多くの人がそのクリスマスツリーをよじ登ることによって救われる。という場面が心に残っています」と言われていました。
 
  確かに、人々はイエス・キリストによって救いを見たのです。つまりタイタニックという映画の中でツリーをよじ登って救われるという場面が象徴的にそういうことを暗示しているのかもしれません。
 
「クリスマスの贈り物」は、この世の価値観によって心を奪われていた科学者が、「死」という現実を突きつけられて本当に人間にとって大切なことは何なのかと言うことに気が付くと言う映画でした。
 
  クリスマスは、自分自身の幸せや家族の幸せだけを願うというこの世的な価値観が中心になる時ではないのです。イエスが私たちのためにもたらしてくれたものに気が付く時なのです。もっとはっきり言えば、私たちの持っている価値観と生きる意味を考え、気が付かなければならない時なのです。
 
  つまりキリストは、公的な場所において、苦しんだり悩んだり、病気の人や、心が病んでいる人々のために、自らをその人々のために捧げて生き抜いた人でした。
 
  ですから、幼稚園の園長をしていた時に、園児たちに、困っている人たちのための献金とか、食べたいものをちょっとだけ我慢して様々なものに恵まれない子どもたちのために、カリタスジャパンの献金箱にお金を貯めてもらっていたこともありました。クリスマス献金することも、中高生のクリスマス奉仕を行うのもキリストが私たちのために命を捧げて下さり、死を越えて復活したキリストの生涯とも大きく関係してきます。
 
  前にも話しましたがクリスマスケーキも、クリスマスツリーもクリスマスプレゼントも全部自分たちが幸せになるためではないのです。人を幸せにするための道具なのです。
 
  イエス・キリストの誕生とその生涯は、クリスマスケーキのように自分の身を人に与えることによって与えられた人たちを神の救いへと導きました。クリスマスツリーは、もともと、貧しい人が食べ物に困った時にいつでもおいでくださいというしるしでしたし、ドイツで始まったと言われるツリーは、最初は旅人が道に迷わないために点けられたローソクの光でした。クリスマスプレゼントは、人間同士のプレゼントの交換ではなく、3人の博士が幼子イエスによって救いがこの地上にもたらされたことを、感謝の心をもって捧げたプレゼントでした。
 
  今年のクリスマスを私たちはどのように過ごすのでしょうか。商業ベースにある今の時代には見えづらい、キリスト誕生が示す大切な部分が何であるのかに目を向けなければならないのでしょう。私たちの歩む人生が、キリストの救いに向かっていることに気が付いて、この世の価値観ばかりではなく、神の価値観に生きることに目を向ける大切な時になってもらいたいと願っています。
 
校長 山口道晴