校長先生のお話

聖母月をおわるにあたって
2012-05-31
  五月の最後の週に、聖母月の締めくくりが行われました。締めくくりに当って次のような気持ちでお話をさせていただきました。
 『この学校は、聖母マリアに捧げられた学校です。この5月だけでなくいつも守り導いて下さるように祈って行きたいものです。これで聖母月が終わると考えるのではなく、はじまるのです』というようなことを多分言いたかったのだと思います。
  「始まり」という言葉に、マリアさまの言葉が思い浮かびます。「fiat voluntas tua」(あなたのおおせのままになりますように)という言葉によって神の子イエスが生まれ、この地上に大きな生きる希望が生まれたのです。もちろん、苦しみ、悩む小さくされた者、病気で苦しむ人や、社会的に弱い立場にいる人にとってです。もちろんその中には老人や子ども達も入ります。
  生きていて良いのだという安心感、むしろこの世の楽しみや、豊かであることがマイナスとなるような「救い」の意味を、神はマリアさまの受け入れの言葉によって、この地上に与えて下さったのです。
新しい契約の「始まり」がマリアさまのうけいれのことばによって結ばれたのです。そこからイエスの母マリア(当時のイスラエルの女性の4割近くが「マリア」であったとどこかで聞いたことがありました。だから「聖母マリア」という賞賛に満ちた名前が頭につけられたのでしょう。
  マリアさまの勇気ある、神様を深く信頼する心をもって生きてきたことが、「fiat voluntas tua」という言葉を生みださせたのかもしれません
  学校の、マリア様に対する心は、校訓にも明らかに示されていることなのですが、「マリアとともに、神に信頼、己に誠実、互いに睦み、進んで奉仕」の言葉です。私たちが日ごろの生活の中で、最善を尽くして神に信頼するという出来事は、そういつも意識的に求められるわけではありませんが、実は生きているということすべてが、神に信頼するということが前提になっているのではないかと思うときがあるのです。
  マリアは、自分が産んで育てた子であるイエスに、カナの婚宴の席でも他人ではあるけれども困っている披露宴を催している人のために、深い信頼と希望を込めて「ブドウ酒がなくなりました」と謎のような言葉をかけるのです(ヨハネ2章1節~11節参照)。
  いつも他者のために心配りができるマリアさまの生き方、そして深い神に対する信頼が、神であるイエスの心を動かすのです。「あなたの仰せになりますように」という言葉が救いの歴史の中で燦然と輝きを放ちながら、人間としてどのように生きることが一番素晴らしい生き方なのかを教えてくれる出発点となったのです。
  十字架のもとにたたずむマリアの姿の中にも、様々なことを考えさせられます。ヨハネ19章25節~27節を読むと、じっとたたずみながら心は悲しみに打ちひしがれているマリアの姿が浮かびます。しかし、取り乱したり、泣き叫んだりという悲しみの表現はありません。そこには神に信頼し、今までのすべての予言(ルカ2章34節~35節)の言葉を味わっているのかもしれないということを思い起こさせてくれるような静かな悲しみを感じます。信じて、委ねて生きてこられたマリアさまに「心の強さ・芯の強い心」を感じます。
  神と共にあり、神がなさる不思議な出来事を目の当たりにして、イエスの死さえも神のみ旨に委ねたマリアさまの生き方は、女性だけでなくすべての人間にとっても大切な生き方であるという確信をもった2012年度のマリアの月でした。
  忙しさにすっかりブログの更新を忘れておりました。申し訳ありませんでした。
 
校長 山口道晴