校長先生のお話

「ぼくの家に泊まって」
2009-12-01
 暁の星の講堂に赤い大きな4本のロウソクが立てられています。いよいよクリスマスの準備が始まりました。キリスト教の伝統は、12月25日のクリスマス当日をお祝いするだけでなく、その準備期間(待降節)を大切にします。その準備の歩みと共に、1本ずつロウソクに点火していくのです。そしてこの期間に、キリスト教の学校では、クリスマスの聖劇の練習が行われることが多いようです。聖劇の練習というと、以前耳にしたお話を思い出します。 

  「ある教会でのクリスマス。聖劇の準備が始まりました。それぞれの配役が順調に決定していく中で、知的障害を持つ男の子だけには何も役がありませんでした。先生たちは彼のために役を作りました。馬小屋つきの宿屋の世話をする人で、せりふはただ一つ。そして馬小屋を指さす役でした。男の子は嬉しくて、毎日練習をしました。そして当日。聖劇は進行し、夕日を背に疲れきったヨセフとマリアが登場。あの男の子が立っている宿屋の入り口に着きました。「こんばんは。私たちを泊めてください。赤ちゃんが生まれそうなのです。」
 
  いよいよ男の子の番。舞台の袖では、先生や両親が手に汗握って、祈るような気持ちで見守っていました。「満員で部屋はありません。」そして馬小屋のほうを指差しました。やれやれ、無事終わった。よかった。皆はほっと安心しました。ところが、悲しそうに馬小屋へと歩いていくヨセフとマリアを見送っていた男の子の目に涙があふれ、泣きながら二人の後についていって叫んだのです。「行かないで。馬小屋なんかに行かないで。寒いよ。ぼくの家に泊まって。ぼくのベッドを使って、赤ちゃんを産んであげて。イエス様を暖かいところで産んであげて。」聖劇は中断してしまいました。けれども、どんな聖劇よりも深い感動がみんなの心に伝わりました。 
 

  イエスが誕生した夜、そこには一人の人間が生まれるのにふさわしい場所さえありませんでした。イエスは私たちの心に住み、我欲と利己心のために、固く小さくなった私たちの心を、愛と喜び、そして希望で満たし、私たちと共にいることを望んでおられます。しかし、どれほど多くの人が心の扉を閉ざし、イエスを拒んできたことでしょう。クリスマスとは、このイエスの願いにこたえようと決心するのにふさわしい日といえるでしょう。
 
  「ぼくの家に泊まって」という、あの男の子の心からの叫びは、クリスマスの夜に生まれる幼子とその両親をどれほど喜ばせたことでしょうか!

校長 朝廣絹子