本文へ移動

校長先生のお話

理事長シスター・マリー・テレジタ石井節子の突然の死を悼む
2017-01-16
 2017年が明けてわずか8日目の夜11時15分、笠岡教会の電話が鳴り響きました。「校長先生。シスター石井が心肺停止状況で今病院に搬送されました。お祈りください。」という連絡を受けました。わかりましたと返事をして、パジャマの上にジャンパーを着て下の聖堂に降り掛けたところで再び携帯の呼び出し音が鳴りました。時計を見ると11時30分です。「今、病院で死亡が確認されました。」と言って電話は切れました。そのまま聖堂に降りてじっと聖櫃に目を向けながら、様々なことを考えながら祈りました。
  30分ほど祈った後で寝室に戻り横になりましたが、眠れるはずもなくいろんなことが心をよぎっていきました。それでも2時間ほど寝たようです。5時半に目覚ましが鳴り、ぼーっとした頭のまま、身支度をし、着替えをして朝の祈りを椅子に座って始めましたが、どうも集中するという状態にはかけ離れた心の動きでした。
  ミサの中でシスター石井の魂の平和を願いながらも、心の中にぽっかりと大きな穴が開いたような、両親が亡くなった時の思いが蘇ってきました。ミサが終わって、いつものように学校に向かって車を走らせました。7時40分に修道院に到着し、一人のシスターの導きで理事長先生と対面させてもらいました。穏やかなそしてとっても静かな様子の中でまるで眠っているかのようにしておられました。この6年間のことが走馬灯のように浮かんでは消えていきました。
  その日、岡山地区の教会が「宣教司牧評議会及び地区司祭評議会」の合同会議が開催されることになっていました。そこには、去年の9月に広島教区長となられたアレキシオ白浜司教様も参加されることになっているとシスターに伝えたところ「是非、葬儀ミサ、告別式に司式していただけるようにお願いしてほしい」と頼まれました。
  いったん笠岡教会まで戻り、信徒会長と一緒に高速に乗って移動しました。岡山まで何を考えて移動したか全く覚えていません。岡山教会に到着してからしばらくしたら司教様が来られました。すぐにシスター石井の死を伝え、今晩通夜で、明日葬儀なのだけれど、もし可能であれば明日の葬儀の司式をお願いできないかとお聞きしてみました。
  「明日は昼から会議が入っているけれども、1時半ですから何とかしましょう」という嬉しい返事をいただきました。しかし、会議が始まると同時に学校の先生方からの電話で会議どころではありませんでした。先生に、生徒にどう伝えるか、様々な問題が私のところに連絡が入り、会議を行っている人には、大きな迷惑をおかけしたように思います。
  会議の最後に「今日は大変ご迷惑をおかけしました。実は学校の理事長が昨日急性心不全でなくなり、様々な対応のために電話で指示を出しておりました。誠に申し訳ありませんでした。」と発言させていただきました。すると何人かの司祭が明日の葬儀は何時ですか?と聞いてこられました。
そして、その夜の7時から通夜の式が行われました。人数は推定ですが300人くらいの参列者があったのではないかと思います。もちろんほとんどの学院の新旧の教職員、生徒も保護者と一緒に参列してくれていました。説教は役不足ながら私がさせていただきました。フレデリック神父、滝井神父、それに私の3人で司式を行いました。
  そして、次の日の朝、学校で一人の先生が「校長先生、お願いがあるのですがよろしいでしょうか」と申し出がありました。なんでも斎場に行く前に幼稚園・小学校・中高を霊柩車で訪れることはできないかという申し入れでした。即座に事務局に申し入れそれができるようになりました。あれほど学校を愛し、生徒たちを愛し、職員一人ひとりを大切にされたシスター石井を送るにふさわしことだと皆が考えたように思います。
  そして、少し早めにカトリック福山教会に行き、滝井神父に司式が司教様であることを告げ、何人かの共同司式の司祭の参加があることを伝えました。参加者は通夜より少なかったようですが、200名くらいは来ていたようにも思います。白浜司教さまと七人の神父(滝井神父、フレデリック神父、テゥアン神父、ギャリー神父、パトリック神父、荻神父、そして私)の共同司式で葬儀ミサが始まりました。心にしみるような葬儀ミサとなったことは非常に嬉しく感じられたことでした。
  彼女が暁の星女子中学校の第一期生であり、創立者のシスター方から薫陶を受けて育った方であること。後に援助マリア会の修道会に入り女子教育を一筋に生きてこられた人でもありました。校長として理事長として学校の発展に寄与されたこと。また修道会の総長として12年間も本部フランスで世界中の援助マリア修道会のために尽くされたことを知る時に彼女の生涯がカードに書かれているような生涯ではなかったかと思いました。
  「私は急いで通りすぎる旅人です。過去や未来ではなく、今の瞬間に全力を尽くすことです。(福者マリー・テレーズ・ド・スビラン)」この言葉通りに走り抜けたシスター石井の生涯であったように思えます。今は聖パウロが言うように、「今や天国の栄冠を勝ち取った」ものと思います。
心から彼女の魂の平和と天国への旅路が豊かなものとなるように祈りたいと思います。

合掌      

校長 山口道晴
TOPへ戻る