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校長先生のお話

死について考える
2013-11-08
  先日、市内のホテルで『生と死を考える会』の講演会が行われた。イエズス会のアルフォンソ・デーケン神父さまの講演会である。彼は、この『生と死を考える会』を東京の聖路加病院の日野原先生と共に立ち上げ、日本全国の市でこの『生と死を考える会』が発足したと言われている。日本人が死と向き合うことをしなくなって久しいことを憂い、死が決して遠い存在ではなく、この世の人生の終焉にいつも背中合わせにあることを伝えたかったようである。また彼は、上智大学で哲学を教え、定年後も「死の哲学」のユーモアに満ちた授業を行っていると聞く。
 彼と出会ったのは今から30年も前の東京の四谷である。当時カトリック雑誌の編集長をしていた私のもとに、デーケン神父さまは、彼自身の著書の広告のために、上智大学から授業が終わると駅の反対側にある中央出版社(現サン・パウロ)の4階にぶらぶらと散歩がてらに来られていた。いつもおなかの皮がよじれるほど笑わせていただいていたという記憶がある。
  80歳を過ぎてからは、多少お年を取られて、老けられたかのように見えるが中身はいつもと変わらぬユーモアと温かさに満ちておられた。講演が始まる前にお話をすることが出来た。最初は誰かよくわからなかったようだが、話しているうちに当時の記憶と6年前の尾道での再会の記憶が戻って来たように思われた。
 
  私自身、彼について何を知っているかと言えば最近まで何も知らなかったのである。大学で行う授業の様子や「死」についての何冊かの彼の著書しか知らなかったのである。彼の半生についてもまったく知らないに等しかった。
  尾道で幼稚園の園長を11年勤めたが、幼稚園の50周年にノートルダム清心の渡辺和子シスターを招いて講演会を行なったことがあった。その次の日の夕方、見るともなしにつけていたテレビから懐かしい声が聞こえてきた。デーケン神父様の声である。慌てて読んでいた本を閉じて、画面に目を向けると、彼の半生を語るアナウンサーの声が耳に響いた。
  彼はわずか4歳で父を失っていた。それも自身の50センチほど離れた場所で、お父さんは、ナチスドイツのユダヤ人狩りの犠牲者になろうとしていた友人であったユダヤ人一家を、身を持って守ろうとしたときに、ナチスの将校が放った複数の凶弾で眼の前で死んだ。
  それを体験した時、彼はわずか4歳だったのである。それから彼が何を思い考えて成長していったかは、あまり語られてはいない。ただ彼自身の言葉によると「深い悲しみと表現できない死についての疑問が残った」と言われていたことが今も鮮明に心に残っている。彼は、多感な青年期の終わりにイエズス会の神学校を選び司祭になる道を選んだ。
 
  私が、よくお葬式の時に使う言葉の中に「私たちは、生まれたら死ぬと言う運命を背負ってこの世に生きている、一秒生きれば一秒、一時間生きれば一時間その寿命はみじかくなっている」。「人の死に出会う時、あるいは身内の死に出会う時、私たちは自分がどのように生きているかを振り返らない人は、いないと思う」。「いつ死に招かれても良いと思える生き方をしなければならない」という話をしている。
  もちろん大まかな話であるが、組み立ては、状況に合わせて変えている。しかし、そういいながら、身近な死を通して死と向き合ってほしいと願っているのである。
  デーケン神父さまの著作で、今は絶版になっている「生と死を考える」というデーケン神父様と曾野綾子さんとの共著で出版された本が私の手元にある。その本の中でデーケン神父様が「日本人は、『死』について、何となく忌まわしいもの、できるだけ早く忘れたいことと思っているようである。しかし、死を意識すること、死が身近に迫っていることを意識することを通して、人はより良い最後を準備することが出来ることを知らないのではないか。」と言っている箇所がある。
  そのために日本人は、医師もそういう「死の準備教育」の大切さを学んでいないから、余命がどれくらいあるかを言うことを恐れ、病人も聞くことを避けると言う風潮があるのかもしれない。しかし、今はホスピスという考え方が常識になってきつつあるが、それも最後の痛みを軽くするという点に力が入れられていて、死をより良く準備して最期を迎えてもらうという考え方にはまだまだ距離があるようである。
  そういう意味で死について考えることの大切さを「生と死を考える会」を作ることによってもっと多くの人と考えていこうとしているのかもしれない。
 
  私自身も、身近なところでは、両親や兄弟、親戚の死を体験している。あるいは卒業生の死を体験している。特に教会で主任司祭をしていると、今年の3月までで13名の方々が亡くなり、教会でご葬儀をあげさせていただいたし、新しく転勤した教会でももう2人の方が亡くなられている。生まれたら死ぬと言う現実を一番身近に感じる場所が教会なのかもしれないと思うくらいである。
  死の現実を前にしても人間の脳は、確実に決まったと思われる余命を宣告されなければ、緊張感もなくだらだらと生きていくもののようである。身内や親族の死を通してようやく人間はいつか死ぬものなのだと意識し、はじめて自分の生き方を見つめようとし始めるのである。その時に本当に「今のままの自分で死ねるのだろうか。他にこれからどんな生き方ができるのであろうか」と考え始めてもらいたいと思って残された家族に、通夜や葬儀のお話を考えている。
  アルフォンソ・デーケン神父さまが「死の準備教育」というテーマで「死を教える」「死を看取る」「死を考える」という看護学校の教科書を出版してくださっている。小児科の看護師長だった義理の姉から譲り受けた本であるけれども、読むたびに死についての認識がまだまだ浅いと反省させてもらえる。
  「死について考えることは、今をどのように生きるかを考える時だ」という言葉を胸において日々を送りたいものである。
 
校長 山口道晴
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