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校長先生のお話

-南太平洋Pohnpei(ポンペイ)島訪問記-
2013-08-31
 今年の夏休みと言っても学校閉鎖期間だけが私にとっての夏休みでしたが、4日の日曜日から12日の日付けが変わっての1:45までポンペイ島にいました。湿気が多くて暑い毎日でした。でも何か心に残る日々だったような気がします。
 
  修道院で何ともなしに聞いた話の中に、もう 35 年間もポンペイ島で働くシスターがいるということを聞いてはいたのですが、日本に一時帰国されたシスター齋藤にお目にかかってお話を聞くまでは、まさか訪問が実現することだとは思っても見ないことでした。それからとんとん拍子に話が進みともかく一週間の黙想をそこでさせていただくことになりました。これは、神さまのみ旨だったのだなと今も感じる話の進み方でした。
 
  マレーシアの国際交流から帰ってきて、一週間後に一人で、カバンに四・五冊の本を詰めて出発しました。関空を4日の夜 9 :00 に飛び立ち一路グアムへ。 5 日の朝の1時くらいに到着しました。トランジットでもすごく厳しい入国審査がありましたが、次の飛行機が朝の 8 :20 分です。眠くて眠くてたまりません。でも冷房が効きすぎて寒いのです。本当に文明と言うものは便利さの追及ばかりで、一人ひとりの思いは大切にされないものなのだと妙に納得した時間でした。気がつけば手荷物を枕にぐっすりと眠っていました。
 
  そして 8 :20 分のポンペイ行の飛行機に乗り込みました。窓から下を見ても海と雲しか見えません。三時間たったころ突然降りはじめ、島に着陸しました。隣の青年に「ポンペイ島か?」と聞きますと「チュウク」だと言うのです。戦時中、日本人の多くの死者を出した激戦地トラック島だったのです。五十分ほどでトラック島を後にしてから一時間弱で目指すポンペイ島に着陸しました。シスター方の迎えを受けて湿気が多く、うだるような暑さの中を修道院に連れて行ってもらいました。修道院の一室をお借りし、旅の不安定な心を鎮めながら黙想に入りました。
 
  もともと、この島は第二次世界大戦の前は、ドイツの支配下にあり「ポナペ島」と呼ばれています。1980年まで「ポナペ島」呼ばれていましたが、ミクロネシア連邦政府がそれ以後ポンペイ島と正式に決めたそうです。ですが学校とか病院ではポナペという名称はまだ使われているそうです。
 
  蚊も蛇もいないポンペイ島は、近くで台風が発生する場所として有名です。ところが異常気象のせいか、今では台風が発生する場所がフィリピン沖に変ってきたことを聞きました。シスターがこの地に来たときは、雨季と乾季がきちんと分かれていたそうですが今や一日のどこかで雨が降っているそうです。
  そう言えば、この島では一日のうち 6 時間ほどが停電でした。冷蔵庫に入れているものが痛むのではないかと思い、聞いたところが「冷凍庫の中身が解けるほどの時間ではない」という返事が返ってきました。「もし、冷凍庫の中身が解けるようだったら、政府に国民の文句が行くだろう」という言葉も何となくわかるような気がしました。
 
  ふと、フィリピンでの生活をおもいだしました。一日中電気が来ない日もあったものですから、本当に困っていたという思い出があります。町まで氷を買いに行ったこともありました。船に乗ったり、乗り合い自転車に乗ったりしながら苦労して氷の板を買ってリュックに入れて帰ってくると、もう電気が付いていたりして笑い話にしかなりませんでした。
 
  週末にシスター方がナンバドールという 2000 年前からある古代遺跡に連れて行ってくださいました。途中で焼いた石の上で色んな物を蒸し焼きにするウム料理をしているところにたまたま出くわしたり、焼いたパンの実が焼き芋と同じ味であると言うことを体験したりしました。またココヤシの実のジュースを取り立てのものに穴をあけて生暖かいけれどもおいしいジュースを飲んだことも忘れられないことです。
 
  人口が約四万人の島でカトリックの信者が 60 %いると言うことにも驚きましたが、イエズス会の神父さま方が宣教していた時代から、今は 11 の教会にそれぞれ永久助祭が置かれ少なくなってきた司祭を助けて司牧にあたっているということでした。四つの教会を訪問しましたが、少なくとも三百名から一二〇〇名くらいの教会があることを見てきました。どこも子どもや青年が多く、生き生きとした教会であることが印象的でした。
 
  最後の日曜日に、修道院の下の聖ヨゼフ教会で英語のミサを頼まれました。行くと最初は 200 名くらいでしたが、ミサが始まるとだんだん増えてきて、 300 名か400 名の信者でいっぱいになりました。それでもシスターによるともう 100 名くらいはいるということでした。ともかく英語でのミサとポンペイ語での説教。何とも言葉では表現できないほど心の奥に沁み込んでいく独特で素晴らしいハーモニーの歌声を聴きながらミサは終わりました。
 
  彼らの多くが、歩いて1時間も2時間もかけて教会に来ているということを聞きながら、かつての長崎の教会のことも思い出しました。
 
  12日の午前1時45分のグアム行きの飛行機に乗って、雨の中を離陸しましたが、真夜中にもかかわらずシスター方が最後までお見送りいただいたことは、非常に心に深く残る出来事でした。あらためて神様に感謝したいと思いました。
 
校長 山口道晴
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