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校長先生のお話

暁の星学院の教育講演会で思うこと
2012-06-29
  先日、暁の星学院の教育講演会で、聖心女子大の教授を経て、現在は、国際コミュニオン学会の提唱者として、様々な活動をされている鈴木秀子先生を招いて、講演を行っていただきました。東日本大震災のときから、何度となく足を津波の被害を受けた場所に運ばれ、原発事故に近いところにも何度も通われ、多くの被災者の方々とお話をされそのときの体験をお話しくださいました。
 素晴らしい体験談を聞かせていただきながら、ふと考えたことがありました。「どうしたらこのように内面の深いお話を、津波の被害者の方から聞くことができたのだろうか」、という疑問でした。終わった後で鈴木秀子さんの多数の著書が講堂の外で売られておりましたので何冊か買わせていただきました。
  そのうちの1冊に「愛と癒しのコミュニオン」という文芸春秋社の新書がありました。それを読んでいくうちに、阪神大震災の時にも鈴木先生は現地に通われ、被災者の方々と心を通わせて、お話をされたことも書いてありました。ただ「何度も現地に行ってお話をされたから聞き上手になっていったのだ」という説明だけで納得できることではありませんでした。
  読み進んでいくと「アクティブ・リスニング」という言葉に出会うことができました。これは、「批判しない」「同情しない」「教えようとしない」「評価しない」「ほめようとしない」で、ただ黙って話し相手に注目し、注意深く耳を傾けるのだそうです。「傾聴」することで、話し手は自分で解決してゆく知恵を出すことができるというふうに書いてありました。
  人間は、なぜ口は一つだけれども耳は二つあるのか?という言葉をもって、話すことよりも聞くことの大切さを教えてもらえるのです。司祭として28年目を迎えている私ですが仕事柄、多くの人々に出会い、お話を聞かせていただいていたのに、「アクティブ・リスニング」ということにまったく気が付きませんでした。
  きっと多くの方が、「この司祭に相談しても無駄だ」と思われたのではないかと改めて考えさせられました。聞くことの大切さを教えてもらった教育講演会になりました。かつて「全身を耳にして聞け」と言う言葉に出会った時に、徹して生きることの素晴らしさにあこがれていたのに、いつのまにか情熱を失い、今の自分で良いのだという傲慢な気持ちが生まれていたのではないかと反省させられました。
  「50,60ハナタレ小僧」という言葉を残した有名な落語家もいますが、私もまだ「ハナタレ小僧の域から抜け出ていないのだと、今改めて思います。謙虚に今の自分の足りなさを認め、また改めて歩むひと月にしたいものと考えました。
  学校の正面玄関の蘇鉄の木が、今を盛りとばかり深緑の葉を茂らしています。去年のクリスマス・ツリーの木がその片鱗も見せないで見事に復元したものだと、自然の力のすごさと神さまの力にあらためて感動しています。
 
校長 山口道晴
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