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校長先生のお話

二学期の行事や活動等から ~その2 追悼ミサ~
2017-11-06
 11月は,「死者の月」です。
 お亡くなりになった方を思い起こし,「神様のもとで,安らかに眠れますように」とお祈りするとともに,私たちも故人と一緒に安らかな気持ちで日々の生活を送ることができますようにとお祈りする月です。
 こうした意味を含め,本校では,11月1日に追悼ミサを実施しました。フレデリック神父の司式により,厳粛に共同祈願・名票奉献・焼香等が行われました。 
 生徒代表の共同祈願文を紹介します。
 
【1年】
 今年もたくさんの方々が,事件や事故・災害によって,お亡くなりになりました。ちょうど一か月前,ラスベガスで銃乱射事件がありました。負傷者489名,死者59名にのぼりました。人を殺すということは,あってはならないことです。ですが,今では毎日のように人が殺されたというニュースが流れてきます。
 私たちは,神様からいただいた命を自分のものでも相手のものでも大切にしなければなりません。一度消えてしまった命は取り戻すことができません。そんな取り返しのつかないことがないように,一年生は,「自分を大切に 相手を大切に」という学年目標を立てています。この目標は簡単なような気もしますが,意外と難しいことです。なぜなら,人間は,つい人を傷つけてしまうことがあるからです。私もささいなことでケンカをしてしまうことがあります。しかし,その後謝ることで自然とケンカする前よりも仲良くなれます。謝るということは小さな行動ですが勇気がいります。勇気を出して謝ったことで,和解ができお互いを深く理解することができます。互いを理解し,赦し合うことができれば,仲が深まって笑顔を取り戻すことができます。こうすることが,平和を築いていく第一歩になるのできないでしょうか。
 神様,私たちは相手のことや自分のことを大切にする努力をします。私たちの歩みが平和につながるよう導いて下さい。
 
【2年】
 暁の星に入学して一年半が経ちました。今年は様々な職業の方からお話をうかがう機会が多々あり,将来の自分像について考えることが多かったと思います。二学期になって私たちは,認知症サポート養成講座を受講しました。認知症に限ることではありませんが,日本社会を見ると高齢者が多くなってきました。普段の生活の中で,困っている高齢者の方を見かけたときには,認知症サポート養成講座で学んだ「さりげない手助け」ができればいいなと思います。
 11月は死者の月であることを暁の星で知りました。一人ひとりに与えられた命のことを考える時期であり,亡くなった人々のために祈る月です。過ぎていくこの時間の中で,その時その時でできることに心を込めて行うことが大切だと思います。校訓の「神に信頼 己に誠実 互いに睦み」をこれから意識し,周りの人々のために実をつけていく歩みをしたいと思います。
 神様,これからも私たちに豊かな恵みをお与えください。
 
【3年】
 今年,スペインで横断中の歩行者に車が衝突する事件など,既に90ものテロが全世界で発生しており,それによりたくさんの方が命を落とされています。それに怯えながら生きている方の苦しみや大切な人を失った方の悲しみを考えると本当に心が痛みます。
 友達と笑いあったり,家族と一緒に過ごしたり,そういった当たり前の日常は一瞬で奪われてしまいます。そんな瞬間は,いつ来るか分かりません。だからこそ,たくさんの人や物に感謝し,多くの尊い命を大切にしなければならないと私は強く感じています。
 世界中の尊い命が尊重され,大切にされる世界がおとずれることを強く思うとともに,亡くなられた方が幸福で満たされますように,心からお祈りし,今ここに生かされていることに感謝します。
 
【4年】
 中学生の時,私は大切な二人の人との別れを経験しました。
 一人目は,曾祖母です。私が小さい時,忙しかった母や祖母に代わってよく面倒を見てもらっていました。成長するに連れて会う機会は減りましたが,時々,会いに行くと,いつも「大きくなったね。ご飯食べて帰り。」と言って,おにぎりとみそ汁を作ってくれました。中学生になり,暁の星の制服を身にまとった私を見て,とても喜んでくれました。私の成長を心から楽しみにしてくれているのだと感じ,とても嬉しかったです。高校の制服姿も見て欲しかったのですが,中二の時亡くなってしまいました。
 二人目は,前理事長のSr.石井です。私は,中学一年生の時,運動会のフォークダンスで一緒に踊りました。Sr.石井の手は,とても温かく力強かったです。そして,なによりも満面の笑みで,自分までもが自然と笑顔になるような素敵な笑顔が印象的でした。
 曾祖母とSr.石井の優しさ温かい笑顔は,私の心の中にずっと生き続けています。今度は,私がお二人のような優しさや温かい笑顔を他者に分け与えることができる,そんな女性に成長していきたいです。これからも私たちを見守っていてください。
 
【5年】
 私達は,今,隣にいる人が明日も,明後日も,そのまた次の日も,当たり前に側にいてくれるという錯覚を抱いて生きています。しかし,そんな保証はどこにもなく,ある日突然,誰かを失い,失った時に,その人の存在の大きさに驚かされるということが,しばしば起こります。私自身,身近に死を感じ,今,後悔していることがたくさんあります。
 先月,私達5年生は,坐禅静修会に参加しました。その中で,松崎和尚様は,「今を生きる」というテーマのもと,ご自身のお母様の病気や親友の死という体験を通して,私達に,伝えられる時に相手に感謝の気持ちを伝えてほしいということを涙ながらに話して下さいました。その強い思いに,私は心を動かされました。毎朝,母が駅まで車で送ってくれることを,いつしか当たり前のように感じていたことを改め,車から降りる前に,必ず,「ありがとうございます」と一言伝えて,駅のホームに向かうようになりました。感謝の気持ちを伝えることを照れ臭いと感じ,ためらうことがあるかもしれませんが,その人に,「ありがとう」と確実に伝えられるのは,その時しかありません。明日も,その人が,または自分が生きていられるとは限らないのです。
 感謝を伝えることによって,今を生き,いつ巡って来るとも分からない死を後悔なく受け入れることが出来ますように。
 
【6年】
 この季節になると,私が思い出すのは祖母のことです。祖母は生前,乳がんを患っていました。五年経ったら再発の恐れはないと言われていたのに,発病して五年ほど経った時,再発しました。その時丁度,私達家族は,父の仕事でドイツに引っ越すことになっていました。出発前の電話で乳がんのことなど何も知らない私に,祖母は「ばあちゃん,風邪ひいちゃった。でも,すぐ治すからまた遊びに来てね」と優しく言いました。ですが結局,そのすぐ後に祖母は亡くなりました。私達は,直ぐに日本に引き返し,祖母の葬式に参列しました。まだ祖母の死を実感しきれていなかった私が,祖母の死を身に染みて感じたのは骨上げの時でした。まだ,小学校一年生の私に母は祖母の足の小指を入れさせてくれました。少しの力で崩れてしまいそうなその塊を箸で摘まみ上げた時,私は祖母が死んだことを実感し,大声で泣きました。
 それから数年間,私は大好きだった祖母のことを思い出しては泣いていました。しかし,年を重ねるにつれて日々の生活に追われるようになったせいか,祖母のことに折り合いがついたせいか,泣くことも祖母のことを思い出すことも少なくなっていました。
 暁の星に入学後は,祖母のことを追悼式で思い出していました。多忙な一年で,この日が一番,死者との思いをなぞることができる日です。卒業後は,行事としての追悼式はありませんが,祖母との思い出は消えません。日常の中で,ふと思い出すときを大切にしていきたいです。神様,どうかこれからも一瞬一瞬を大切に精一杯歩めるようお導き下さい。
校長 小野田 文明
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