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校長先生のお話

創立記念日によせて
2016-10-13
 68回目の創立記念日を迎えます。最近よく「ミッションスクール」という言葉の意味について考えます。このミッション(使命)という言葉には、二つ意味があると思います。一つはこの学校が「(与える)愛を教えてくれる学校」という意味と「キリスト教の価値観を教えて育てる学校」という意味があると強く感じます。
  辻邦生(つじくにお)という作家が書いた作品の中に「回廊にて」という作品があります。その作品の中にフランスから一緒に船に乗って日本に来た二人のフランス人シスターの話を読んだことがあります。日本人としてまったく宗教に関わり合いのなかった辻邦生が、船で日本に戻る時たまたま一緒になった二人のシスターの姿を見て、自分の中にない価値観に改めて驚くといった内容だったようにあいまいな記憶が教えています。
  その価値観のために命を賭けてまで日本にくる凄さと決意の深さに彼は宗教のもつ意味について考え始めたというところで終わっていたように思います。命を賭けるほどの価値観、命を賭けるほどの「愛」についてこの日本に同じく船で到着した4人のシスターたちのことに思いが行きます。
  五十周年記念誌の現理事長の文章の中に「彼女たちは、未知の国日本での宣教がいかに困難なことか、またそのためには、自分たちがどれほど小さく貧しい存在であるかを、十分に自覚していました。しかし、それは彼女たちにとって障害になるどころかかえって勇気と大胆さの湧き出る泉となったのです。なぜなら、彼女たちは『神のみ手に握られた従順な道具』として、神に身を委ねれば委ねるほど、神はそれを用いて自由に働かれることを知っていましたし、『神に信頼を置くものものは、神の力によって強められる』ことを信じていたからです。」という文章が書かれていました。
  信仰を持って、自分が信じている最も人間らしい生き方、最高の道を伝えたい。という激しい気持ちが、聖フランシスコ・ザビエルを日本に導いたとも言えるのです。同じく4人のシスター方もその熱意が心を動かし、希望をもって、人間的な不安を抑えながらはるばる遠い異国の地まで旅してこられたのだと思います。
  この創立記念日に思い起こさねばならないことは、草創期のシスター方を思い起こすことであり、その心が受け継がれているかどうかを眺める必要が今だからこそあるのではないかと考えてしまいます。すなわち、ミッションスクールとしての使命を果たしながら日々の生活をどのように送っているのかを振り返る必要があるのだろうと思います。
  マリー・テレーズ・ド・スビランの列福式の日にくしくもイエズス会管区長愛宮神父からの声掛けも摂理的であるといえますが、神と結びつき、三位一体の神の手の内で行われたことをあらためて考える必要を感じます。すべてが摂理のうちに行われたし、これからも摂理のうちに行われていくのだろうと思います。神が私たちを支え導いてくださるのだと思いますし、委ねる心がさらに求められているようにも思います。
 
校長 山口道晴
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