本文へ移動

校長先生のお話

クリスマスについて
2015-12-03
何度クリスマスを迎えても、クリスマスだけは、幼いころから連綿と継続しているカイロスとクロノスの世界という感じがします。カイロスが「永遠の今」であり、クロノスが「現実の世界の今」であるとすれば、クロノスの世界でクリスマスを祝ってきていたのが中学高校大学時代であったとすれば、カイロスの時代は、神学生の時代から司祭になってから現在に至るまでの時代のような気もするのです。
  しかし、正確に言うならば、ここ十数年の司祭生活の中でことさらに、カイロスの世界の中でのクリスマスを迎えていると言う気持ちがするのです。
  カイロスの世界が永遠の今であるとすれば、人間の歴史が、アブラハムから始まる神と人間の壮大なるドラマであり、唯一の神が人間にその存在を知らせ、エジプト脱出以後、モーセによって十戒が与えられ、「もし、この掟を守るならあなた方を守り導く」という約束は守られ、イスラエルの人々を導き、カナンの地エルサレムに導くのですが、何度もイスラエルの民は裏切り、神からの怒りを受け、少しづつ唯一の神に従うことを学んで成長する歴史です。
  そこから神の使いとしての預言者の導きによって士師の時代、列王の時代を経て、バビロン捕囚、そしてエルサレムへの帰還を経てようやく唯一の神の存在を確信します。
  イエスさまの誕生まで1900年という歳月の中で、常に神の存在と、人間、特にイスラエルの民との深い関わりがありました。その中で「救い主」が生まれるという預言の実現を心から待ちわびていた時に、謙遜なマリアさまによって、この世に神の子がうまれたのです。それがクリスマスです。
  壮大な1900年間の俯瞰図ですが、神のご計画と言う視点から眺めると、我々が何気なく生きているこの世界のクロノスの時間にカイロスの時間が微妙に関わっているようにも思えるのです。それを神の「時」と呼んでいます。
  そして今の時代は、イエスさまの十字架によって神の救いのご計画の中に組み込まれた時なのに相も変わらず自分のエゴがはびこり、この世の価値観がキリスト信者であってもその中で蔓延っているのではないかと思うのです。この世の価値観、すなわちお金や物や、人の関わりだけが大切であり、「老病死生」という4苦の世界を避けて生きている時代になって来たようです。まるで唯一の神がイスラエルの民を荒れ野で導いたように、様々な苦しみを通して神の民を育てられたことを忘れたように見えます。
  つまり、多神教から一神教に変る前のイスラエルの民の姿です。私たちの心の真ん中に一体何が置かれているのでしょうか、紅海を渡ったイスラエルの民が、苦しみに遭遇する度にエジプトでの生活を懐かしむように、私たちの心にも神の国である天の国ではなく「この世の天国」を味わうために生きているのではないかと思う時があります。
   毎年この時期(待降節、クリスマスを迎えるまでの4週間の準備の期間)になるとイザヤの予言が読まれます。
  「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
  『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。
   谷はすべて埋められ、山と岡はみな低くされる。
   曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る』」(イザヤ40章3~5)
 
  主の道をどのように整えようとしているのでしょうか。具体的に何かを捧げようとして、犠牲や我慢や、赦すことに心を向けているでしょうか。私たちの心に老病死生の辛さや悲しみを神さまに捧げながら、委ねながら、家族に奉仕し、家族のために、あるいは病気の人、苦しんでいる人のために祈っているでしょうか。また、自分自身のためにも祈っているでしょうか。
  それが神の道筋を真っ直ぐにすることでもありますし、私自身の心のでこぼこを平らにすることになるのです。弱さや愚かさが解消されるとは思いませんが、自分が弱く愚かであることを認めることが出来るようになると思います。いつも、「主よ憐れみ給え」と祈ります。困った時の神頼みとは違いますが、「いつも私を導いて下さるのは、神様あなただけです。」という確信だけはこの5年間持ち続けてきたのではないかと思っています。
  クリスマスを迎えるとは、商業ベースでの考え方ではなくて、人間としてどのように生きるかが求められていることにも気が付く必要があります。そのキリストの具体的な生き方の中心は「小さくされた者」の友となることなのです。自分のことばかりに心を使うのではなく、クリスマスのイエスの誕生を、イエスの生き方に目を向ける大切な時になるように考えるべきではないのだろうかと考えてしまいます。
  学校では、耳にタコができるくらい「Women for others」と言う言葉を耳にすると思います。そうなのです。それがキリストの生き方だから、その生き方が一番いいよ。みんながその気持ちを持って関わり合いをしていくならば、苦しいし辛いこともいっぱいあるけど、自分が人間としてより豊かになれるよと教えてあげられるような気もします。イエスのように人を大切にできるクリスマスになりますように。
 
校長 山口道晴
TOPへ戻る