校長先生のお話

笠岡教会言行録
2015-07-04
4月から3年目に入りました。笠岡駅から歩いて5分で教会に到着します。また教会から50メートルほどの近さに山陽汽船の船着き場があり、朝6時50分になるとその日一番船の出発の合図のベルが聞こえます。それが聞こえるとミサをしていても非常に慌てます。なぜなら、私の学校への出発時間が迫っていることに気が付くからです。同時に朝のオメリア(短いお説教)のつもりが本当の説教になってしまって、3分くらいのつもりが5分や10分くらいになっていることに気が付くからです。
 
  それから、背広を着てカバンと弁当(3年前の9月から、お弁当を詰めて学校で食べるようになりました。)を入れた袋をもって車に乗り、7時2分頃には教会の駐車場から出て行きます。今は、さらに冷たいお茶の入った水筒を併せ持って車に乗り込みます。時々、財布を忘れたり、携帯電話を忘れたり、ipadを忘れたりと学校に行ってから非常に困ることもたくさんありますから、夜に確認してから寝るようになりました。
 
  土曜日の夕方からは、掃除、洗濯の週末行事が待っています。福山教会とは違うことが沢山あります。まず司祭の部屋の大きさが違います。福山はホテルのようにトイレ・風呂が部屋の中にありましたが、笠岡教会は、寝室、執務室、食堂、風呂、洗濯場、物干し場と全部別々にあります。そのおかげで、2階の広々とした空間をよく歩くようになりました。
 
また広々とした空間の中で歴代の外国人神父方が住んでおられたことを示す痕跡が残っています。一つは今まで見たこともないような立派な十字架が至る所に掛けられています。二つ目が風呂場です。そこにはシャワーのノズルが付いているのですが、日本だと座って頭を洗ったりする場合、ノズルかけは床から40センチくらいの高さにあるのがふつうでした。
 
  ところが一番低いところにある位置が、1m40センチくらいの高さであり、上の方にあるノズル置きは、1m80センチくらいの高さにあって、2年間一度も使ったことがないくらいの高さなのです。洗濯物干し場の部屋の入口に3人のこれまでおられた淳心会の神父さま方のにこやかで暖かそうな顔写真が残されています。背丈は分かりませんが、最後の淳心会の神父様がスメット神父様でした。彼も大きな人であったように思います。
 
  日曜日のミサの準備は、主任司祭の仕事です。前の晩に準備を行ない、朝にホスチア(ミサの中で使うパン)を準備したりします。教会の高齢化は隠しようのない現実です。若い人が来ていないのですから、しょうがないのかもしれませんが、私のような年齢でも教会では若手と呼ばれています。何とか後継者を育てなければなりません。それが喫緊の課題です。
 
  2年ほど前から月に一度、北川という町にミサに行くようになりました。それを教えて下さった方は、「北川が笠岡教会の前身の教会であり、今はもうないけれども借りていた集会所で淳心会の神父様がミサを捧げていた」と言うことを聞いたからです。信者さんも高齢になり車で笠岡に来れない信者さんもいるとのことで、行きはじめました。最初は、信者さんの家庭の持ち回りでミサをしたいということでした。でもそれが難しい家庭もあり、最終的には一軒の家(辞められた家具屋さんの広い空間)をお借りしてミサを行っています。
 
最初は笠岡の信者さん方の参加も少なかったのですが、徐々に増えてきて14名前後で推移しているようです。笑いあり涙ありのミサになっているようで、神様のみ旨であったと強く感じています。
 
そして日曜日には、毎週たくさんの方がミサに与っていただけるようになりました。本当に神様に感謝する毎日です。またミサの片付けは、信者さんが喜んでやって下さるようになりました。第2週と第4週のミサ後一時間は、「勉強会」と決めて、信者さんに聖書のお話しやら、信仰について、秘跡についてetcのことでお話をさせていただいています。洗礼を受けたらすべて分かっているかと言えば、何も分かっていないのです。謙虚にそういう現実を認めて、いつも信仰について学ぶ姿勢があれば、より深められた信仰が育つのではないかと祈りながら行っています。
 
そして勉強会が終わると、有志の方で準備してくださっている簡単な食事会を行っています。そこでも何か温かい雰囲気が生まれつつあるように思います。本当に「いつも感謝しなさい」というパウロの言葉が心のどこかで聞こえます。
 
病人訪問も月に一回ですが、行っています。車で全部回ると1時間半くらいかかります。でも顔を見せた時の信者さんの顔は、いつも輝いて見えるのです。いつも希望と喜びを持って日々過ごしたいと思う笠岡教会の毎日です。思いつくままに書いてみました。
 
校長 山口道晴