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校長先生のお話

「ニュージーランド旅行記」-Villa Maria Collegeとの姉妹校提携の記録-
2015-04-11
 去年の6月入試広報を通して平井さんというコーディネーターとトニーさんというカトリックのシスターたちが創立したと言うビラ・マリア・カレッジ(私立中学・高校学校)の国際交流担当の先生が、福山の私たちの学校を訪問されました。話を聞いているうちに心の中にこの学校との提携ができれば今までの学校とはまた違った交流が出来るのではないかという考えが生まれてきました。
  カナダの提携先はプロテスタントの学校でした。マレーシアは、どちらかと言うとイスラム系の学校でした。何とかカトリックの学校との提携が出来ないものかと考えていたのですが、なかなかそういう学校を探すことが難しかったというのが今までの状況でした。
  しかし、もしカナダに修学旅行に行けない事態や、事件が起こったりした場合、修学旅行ばかりではなく短期留学先にも影響があることを考えました。あれやこれや世界の情勢が変わってきていることを感じながらも、何もできていないことが心配でした。ビラ・マリア・カレッジからの6月の本学の訪問が終わってから、理事長に新しい学校との提携について相談し、事務局に相談したところ、まだ国からの援助があると言うことでしたので、思い切って提携を行うことを決心しました。それまでに細かいところは、F先生にお願いして詰めていただいておりました。ですから出発の前までには行けば調印式だけで済むようにしていただいておりました。今振り返っても本当に心から感謝しています。
  岡山から韓国の仁川の空港まで1時間20分かかりました。そこから乗り換えてニュージーランドの最大の都市オークランドにその日のうちに到着することを考えていましたが、なんとそこのトランジット(乗り換え)までに6時間を待たされました。本当に暇でしたが、F先生のお蔭で楽しく過ごすことが出来ました。ようやく夕方飛行機に乗ることができました。それから11時間の飛行でした。到着したのが次の日の午前8時でした。旅行会社から頼まれていた人が迎えに来ていて、ニュージーランドの話を一時間近く聞くことが出来ました。
  ニュージーランドは、面積が日本の北海道を除いた本州・四国・九州を足した面積だそうです。ところが人口は横浜市の人口と同じ400万人余ということでした。産業は、林業・農業・漁業と観光が中心で主要な企業がないために平均年収が日本円で400万円くらいで決して裕福ではないそうです。
  農業は盛んで、羊の数は全人口の何倍もいるそうです。現在は、羊の他に牛、馬、鹿を飼っており、マトン・牛肉・鹿肉を輸出していると聞きました。
  中国が、人口の増加を助けるほど多くの人間・資本を送り込みまた中国に多くの農産物の輸入を行ない、もし今中国資本が中国に引き上げられたらニュージーランドは、経済的に立ち行かなくなるだろうと言われていました。
オークランドもクライストチャーチも安全であり、治安はかなり良いとのことでした。
面白いのは、キオスクと呼ばれるところに何台も発券機がおいてあり、予約されたことが書いてある紙を入れると、荷物に着けるラベルと航空券が出て来ることでした。国内線は皆そうなっているということで、並ぶ必要がないことがある意味で便利でした。
  後は、ニュージーランドドルが使えるのですが、コーヒー一杯でもカードで精算できるカード社会であることを一週間で体験させてもらえました。ある意味で安全であろうかと思います。
  ニュージーランドは、原住民族であるマオリ族がすんでいた島ですが、イギリスが植民地として移住をした国です。ですがどこよりもこのマオリ族の人権を大切にしていることが感じられました。テレビもマオリ族のためのマウリ語のチャンネルがあり一日中放送しているのをホテルで見ることが出来ました。
オークランドから1時間20分(岡山から韓国の仁川空港までの時間と同じです)かけてクライストチャーチまで飛びました。クライストチャーチは人口50万人ほどで、寒すぎてマウリの人も住んでいなかったそうです。ですが冬も町の方は、ほとんど雪が降らないそうです。私がニュージーランドを訪ねた時、季節は、初秋の頃でしたが、昼間にはセミの鳴き声が聞こえ、夜には虫の声で一杯でした。そして北風が冷たいと北半球では言うのですが、南半球では南風が冷たいということも新鮮な驚きでした。
  ともあれ、24日にクライストチャーチについてから町の中心から20キロばかり離れた共学の学校でしたが、RANGIORA NEW LIFE SCHOOL(プロテスタントの学校でした)を見学させてもらいました。異常に大きく、芝生で覆われた運動場と明るい生徒たちと出会いました。やはり雰囲気は、カナダのRCAの学校と同じ雰囲気を持っていたようです。夕方、クライストチャーチの中心に戻り、地震で多くの犠牲者を出したと言う中心地を訪れました。
  最初、地震の影響は、日本人が多数亡くなった場所だけだろうとかんがえていました。実際、英語学校は取り壊されて、更地になっていました。中央に献花台が置かれており多数の花束が置かれていました。周りを眺めると多くの建物が倒壊し、大きな影響を受けていることがわかりました。英語学校のそばには、47個の白い椅子が並べられていました。その中には小さな子供が座るいすもあり、クライストチャーチで犠牲になった人々を偲ぶために置かれてあるそうでした。ただ犠牲者は、日本人が一番多かったようです。
   英語学校のすぐそばにあった教会(アングリカンチャーチ・聖公会の教会)も紙の柱で教会が再建されていました。これは神戸の長田町のカトリック教会を再建した同じ日本人が設計をしたようです。
  25日の午前中から調印式を行うVilla Maria Collegeを訪問しました。調印式は26日の10時からです。学校の見学と雰囲気を感じるためと写真を撮るためです。ひと言で言うならば、学校の建物は暁の星とは違いすべて平屋で結構ごちゃごちゃかたまって建てられていますが運動場が広く、芝生で覆われていて生徒たちも楽しくマラソンをしていました。現在12名の日本からの短期留学生を受け入れていると言うことでした。東京・大阪・九州・それに広島の学校と姉妹校提携を結んでいるそうです(確認しただけで6校との提携書を確認することができました)。また日本語科のクラスもあり、非常に親日的な雰囲気でした。休憩時間に唯一一人だけ派遣されているシスターとお会いしました。そういう所は、まだ暁の星のほうが幸せかもしれないと感じました。
  一つだけ気になることがありました。それは、短期留学で来ている日本人の生徒たちが、クラスに入りクラスメートと自然にディベートであれ先生の話を聞くことが出来ている生徒が多かったことです。クラスに入れる生徒であるためにどんな風に日本で英語を勉強しておくべきかを考えさせられました。
  26日の午前10時からビラ・マリア・カレッジの校長室で、デボラ校長先生(女性の校長先生でした)とトニー先生、私とF先生、留学生のコーディネーターである平井さんと合計5人で調印式を行いました。調印式後学校の感想や先生方の温かさなどについてお話をして、日本語科の先生ともお会いし是非日本にも留学生を送ってほしいとお願いをしてきました。
  午後からもLincoln Hgh Schoolを訪問して学校の視察を続けました。2000名規模のマンモス校でしたが、やはり多くの日本人の留学生がいました。学校の評価は、高校1年からある国家試験にどの程度のレベルかが問われていると言うことでした。2年、3年と行い、自分の取ってきた試験のレベルで大学が決まると言うことも日本では考えられないことでした。
  26日の午後オークランドに移動して、27日の1日、市内と市街地をみてまわりました。日本人の中学生・高校生で短期留学に来ている生徒さんたちとお逢いしました。バンクーバーと非常によく似ているのが、面白く感じられました。
 
  6日間をふりかえって見ると実にたくさんのことを学んだ日々であったと思っています。カナダによく似た雰囲気でもありますし、オークランド博物館に行った時も思ったのですが、原住民族のマオリ族をとっても大切にしていたことです。とっても穏やかで静かな雰囲気は北半球では、感じることが出来なかったことのようにも思います。
 
校長 山口道晴
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