校長先生のお話

新約聖書の奇跡物語について考える
2014-08-06
 雨宮慧(あまみや さとし)神父様がお書きになられた「聖書講話集Ⅰ」に「なぜ聖書は奇跡物語を語るのか」という本があります。終業式が終わってから読み始めたのですがいろいろと考えさせるところが多かったように思います。奇跡物語の裏にあるものがいつも神であるイエスを想起させるものであることは明白です。その意味では旧約聖書をまず理解する必要を感じさせられます。
 
 ですが「新約聖書すらどこに何が書いてあるかすら知らないのに、どうして旧約聖書の箇所について詳しく理解できるでしょうか。」と言う気持ちになります。しかし、新約聖書は、旧約聖書という土台の上に立てられている出来事の書なのです。たくさんの物語が描かれている旧約聖書の物語もまとめると「唯一の神が存在し、その唯一の神が私たち人間の救いのために働かれた物語である」と述べている聖書学者もいます。そういう基本的な理解くらいは必要なことだと思われます。
 
  そもそも新約聖書は、イエス・キリストがユダヤ教徒によって苦しみを受け、十字架につけられ、死に至るまでの苦しみを受け、死んで葬られ、三日後に復活された。復活したキリスト・イエスに出会った弟子たちが、特にパウロによって、「十字架に掛けられたキリスト。死んで三日後に復活されたキリスト・イエス」を全世界の人々に伝えたことからキリスト教が始まったのです。そのことは弟子たちの言い伝えとして教会の中でキリストの教えを知ろうと思っている人に教える教えとしてまとめられています。そのまとめられたものが『四福音書』として今にまで伝えられているものなのです。
 
  そして新約聖書は、単なる歴史書ではなく、三位一体の神であるイエスが、この地上に生まれ、多くのことを教え、証しをして、自らの死を持って神と人間の間にある溝を埋めて、私たちに救いをもたらした出来事なのです。「出来事を単純に叙述したのではありません。心で把握した意味を伝えるために、出来事が述べられたのです。」(「なぜ聖書は奇跡物語を語るのか」p,10参照)
 
  最近の日曜日に読まれた福音書をもう一度見直さねばなりません。このみ言葉は単純に読むと「三匹の魚と5つのパンを、5000人の人に分け与えた奇跡物語」としてとらえられます。普通に考えても三匹の魚と5つのパンでは、決しておなか一杯になるとは思えないから奇跡が行われて、女性や子どもをのぞいて5000人の人に食べ物が与えられたのだと考えます。
  しかし、どこにも「パンが増えた」「パンを奇跡的に増やした」と言う記事はないのです。マルコによる福音書にもマタイもルカもヨハネもひと言も言及していないのです。なぜ奇跡物語として言及していないのでしょうか。
  「理由は簡単です。この物語の主眼がパンの増加に置かれていないからです。イエスがこのことを行なったとき、福音書記者はそのことに語るべき意味を見出さなかったからです。・・・もっと大切なことをこの物語で書きたかったに違いありません」(「なぜ聖書は奇跡物語を語るのか」p,38参照)
 
  「牧者のない羊のようなそのありさまをあわれに思い」「皆を組に分けて青草の上に座らせ」を互いに関連ある表現であると言われています。(「なぜ聖書は奇跡物語を語るのか」p,38参照)。
  詩編23
  主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
  主はわたしを青草の原に休ませ
  憩いの水のほとりに伴い
  魂を生き返らせてくださる
  主はみ名にふさわしく
  わたしを正しい道に導かれる。
  詩編23編にある言葉を引用し、5000人の男が羊にたとえられ、その羊が「青草の上に」伏して牧者に養われる。そのようなイメージがあるのではないかと言っています。
 
  要するに、雨宮神父様は、「導く」側面と「養う」側面を持つ神の働きをマルコ6章では語っているのではないかと言っているのです。詩編23編の羊の群れを導くイメージがマルコ6章で使われ、イエスこそが「飼う者がない羊」を憐れみ、牧者となって「青草の上に」伏させ、食べさせ養う方なのだと言うのです。いわば、これはマルコによる信仰告白です。
「旧約で民を養うと約束していた神が私たちの内に現実となった、それがイエスである」
(「なぜ聖書は奇跡物語を語るのか」p,44~48参照)
 
  これは一部をまとめたものでしかありませんが、マルコとマタイ、ルカとヨハネの福音書は、実はこの信仰告白を中心に置いた奇跡物語であるという考え方を学ばせてもらいました。そういう考え方が聖書学的にあると考える時、まだまだ自分の聖書の理解の、未熟さ小ささを感じさせられたのです。
 
  ただ、み言葉を読むだけでなく、聖書に親しみながら、いつも新しい気持ちで知らなかったことを知らなかったなと謙虚な心で受け止める必要を感じる大切なときになりました。

校長 山口道晴