校長先生のお話

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」-テサロニケの信徒への手紙5章16節~18節-
2014-07-07
 先日、出張で東京に行くことになって、2時間ある授業の2クラスの生徒にレポートをかかせることになりました。選んだ聖書の箇所は、上の箇所を含む聖パウロの書簡の箇所でした。帰って来てからそのレポートを読ませてもらったら、真剣に読み、清書し、自分なりの解釈が書かれてありました。読んでいるうちに生徒たちの真摯に聖書の箇所に向き合っている姿勢に気が付き、変な話ですが、「このように、しっかりと物事と向き合う生徒たちがいるこの学校は、まだまだ元気だな。」と妙に感心させられました。
 
  しかし、レポートの中に幾つか似たような言葉がありました。『「いつも喜んでいなさい。」と言う言葉は、むつかしく感じました。悲しくなったり、辛いことがあったりすると喜べなくなるからです』と。
 
  確かにその通りなのです。普通に考えると「いつも喜んで生活したり、いつも神様に祈ったり、いつも感謝しながら生きる」ことがどんなにむつかしいかを日ごろの生活でよく体験します。生徒たちが書いたように「悲しいことや苦しいこと、辛いことがある」と私たちの心は、不安や、心配事によって一杯になります。悲しみの原因を考えると、普通の人だったら喜びは消え、神様に祈る前に人間的な慰めや、励ましを求めます。
 
  なぜパウロはそのように書いたのでしょうか。できもしないことを書いたのでしょうか。私は、パウロが出来もしないことを書いたとはどうしても思えないのです。生きていれば辛いことも悲しいことも、楽しいこともあります。ですがパウロは喜怒哀楽という世界を絶対視しなかったのではないかと思います。人間として生きていれば喜怒哀楽の世界で生きていくのがあたりまえです。ですがその世界を超えたところにある世界に目を向けていたように思います。この世は涙の谷であり、老病死苦の世界でもあり、平穏無事な毎日を送ることが大切だと考えることもおかしいことではないように思います。
 
  しかし、パウロはキリストへの信仰の人でした。この世の苦しみの意味を深く理解していたようです。彼自身、生涯の中で「難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難…….町での難、荒れ野での難、海上の難に遭い、苦労し、骨を折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」。(Ⅱコリント11章25~27参照)
 
  彼の生涯は、常に大きな危険と常に背中合わせだったのです。いつも喜んでいられたのでしょうか。いつも祈っていたのでしょうか。いつもすべてのことに感謝していられたのでしょうか。答えは「はい」です。
 
  彼にとってキリストの十字架と死と復活を告げ知らせることは彼の使命であり、そのことによって生じる苦しみは、キリストが十字架によって苦しまれるのと同じ苦しみの体験だったのです。キリストがすべての人の弱さを背負って亡くなられたように、自らもその苦しみを背負って死ねば、キリストと共に復活することを強く信じていたのです。
 
  だからパウロは、決して苦しむことを避けなかったし、どんな迫害も死も恐れなかったのだろうと思います。使命を果たす喜びがあり、その心を保ち続けるためにいつも祈っていたと思います。いつも「キリストが私の内に生きておられるのです」(ガラティア2章20節参照)という喜びが彼を満たしていたのではないかと思います。だからどんな苦しみにあっても、辛い出来事の前でもあるがままに受け取り、神様にどんな時でも感謝できたのではないでしょうか。
 
  私たちも、苦しみの時には混乱し、他人を責め、自分を責めるという愚かさを持っています。人の表面だけしか見えず、人の苦しみも悩みも分かりません。また分かろうともしないのです。それが人間だと言う変に人間を間違った方向で理解しているのではないかとときどき思います。
 
  現世的に「苦しみの後には喜びが来る」という価値観ではなく、すべてのことに意味があり、すべてのことに時があることを伝道の書では述べています。つまり、人間の側の狭い人間観ではなく、神の存在とイエス・キリストの生き方の中に自分の人生を見つめる時初めて、本当に私たちが伝えるべきミッションが見えてくるのではないかと考えてしまいます。また聖パウロは、キリストの生き方に掛け生涯をキリストに捧げた人であったように思います。
 
  カトリックの学校として何を伝え、何を模範とすべきかを考えさせる良い機会を、生徒たちのレポートが教えてくれたように思います。

校長 山口道晴