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校長先生のお話

パウロについて
2014-06-03
 毎年のことながら6月は、私にとってパウロの月です。なぜパウロの月かというと、かつて所属していた修道会が6月にそのお祝いをしていたからです。パウロについて考える時、初めはパウロの情熱や不屈の宣教に対する姿勢について考えていました。今は、その信仰の深さと広さ、そして厚みについて考えています。
 
  パウロの生涯の中で「パウロの回心」が最大の謎でした。物ごころついた時からパウロは私にとって身近で模範とすべき人でした。ところが、「パウロの回心」という言葉が、いつも心に引っかかっていました。悪人から善人へ、改心して変化するという「改心」は、私にとってよくわかることでした。
 
  パウロは、その生涯の前の部分は、律法学士として学ぶ傍らユダヤ教に熱心な若者でした。最初の殉教者である聖ステファノの殉教に立ち会い、キリスト教徒を憎み、多くのキリスト者を迫害し、連行して牢に入れています。
 
パウロ自身の言葉によれば「あなた方は、私がかつてユダヤ教徒としてどのように振る舞っていたかを聞いています。私は、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖たちからの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年頃の多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」。
ガラティアの信徒への手紙1章13節~14節参照
 
  キリスト者にとっては、パウロは恐怖の的であっただろうと思います。パウロが行ったことは、キリスト者にとって敵対的な関係であり、憎むべき敵だったのです。
  ところがキリスト者の迫害の最中、ダマスコと言う町に行く途中でその出来事は起こります。「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところに行き、ダマスコの諸街道あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところがサウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ『サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる』使徒言行録9章1節~6節参照
  と言うような出来事が起こったのです。それからパウロは、生き方と価値観の大転換を果たすのです。今まで持っていたものをすべて捨て同じ情熱を持ってキリストを伝えようとするのです。まるで今までの生き方の方向性を、全く反対側にあったキリストの方向性に合わせるようにです。それが「心をキリストに心を向けなおす」「回心」と言われるようになったのです。
 
  『マザーテレサの秘められた炎』というマザーテレサ生誕百年を記念して協働していた一人の司祭の手記をまとめた本が出版されています。この本の中に、彼女が、貧しい人のために働くことを決意した時、彼女はある私立学校の校長をしている時であり、彼女はその時に、神がバスの中で自分に語りかけられる声を聴き、貧しい者への奉仕の仕事を決意し、新しい修道会の設立を考えるのです。
 
  けれども、そういう外側の事情よりも、彼女が神様から受けた深い心の平和の恵みがいかに彼女を支え、喜びと深い平和がその仕事が始まるまで続いたと言っていることです。ところがその仕事を始めてからその生涯が終わるまで、彼女の魂を癒してくれる深い平和はこなかった。と書かれていました。
 
  「神が与え、神が奪われる」と言う言葉は、ヨブ記の有名な言葉です。神さまから来る恵みに私たちは生かされて生きているのですが、それに気が付き謙虚になって生きられる人の何と少ないことでしょうか。
 
  パウロは、それ以後いつも生きる基準がキリストであることを宣べ伝えています。「互いにこのことを心掛けなさい。それはキリスト・イエスにも見られるものです。キリストは神の身分でありながら神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため神はキリストを高くあげあらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(フィリッピの信徒への手紙2章5節~9節参照)
 
  パウロにとって本当の回心とは、心を神に向けなおすだけでなく、自らの生き方をキリストの苦しみ、十字架の苦しみに合わせることだったのかもしれません。キリストの生涯をこれほど見事に生きたパウロの生き方に憧れます。

校長 山口道晴
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