校長先生のお話

11月は死者の月
2012-11-26
 毎年、11月になると宗教の授業は、「死」についてです。話す内容は毎年そう変わらないことをお話ししています。
  しかし、死について考えることは、これから自分はどのように生きるかに関わってくることですから、あまり聞きたくない「死」についての4回の話も、それなりに意味を感じてほしいと思って授業をしています。
  こちらはそう思っても、生徒たちは目先のことばかり(多分に試験や小テスト等)で心は落ち着きがないようです。落ち着かなくても語っておかなければならないこともあるのです。
  なぜなら、死は若いからとか、歳を取っているからと、法則に従って来るものではなく順不同で、この世の幸福の絶頂で来る時もあるし、これからだという時に突然訪ねて来る場合もあるからです。今、自分が死についてどのように考えるのかによって、これからの生き方に大きく影響を及ぼすからです。不合理・不条理の世界で生きる我々の宿命ともいえるものではないかとよく考えます。
  授業でよく話す事柄の中で、母の死について語ることがあります。尾道に転勤して2年目だったと思いますが、広島にあった福祉専門学校で授業を終えてから、生徒指導のことで学校に残りました。
  夜も遅くなったので尾道に帰ろうとして、はじめて携帯が鳴っていることに気が付いたのが9時過ぎでした。「朝から肺炎で医者が親族を集めるように言っているから、すぐに帰って来てください」との義姉からのことばでした。
  高速道路を利用してかなりのスピードで帰りましたが、途中で携帯が鳴り、パーキングに止めて話をした時には、母はもうこの世から旅だっていました。92歳でしたが、子どもにとって母の死はいつでも特別です。
  人は、人生には生と死しかないことを、うすうすとは気が付いているのだと思います。しかし、いつ死ぬのかを知らないために死に対しての恐怖も薄れ、永遠に生きられるというような錯覚の中で生きているのかもしれません。
  アルフォンス・デーケン神父さまと聖路加病院名誉院長である日野原重明先生は、日本中の市に「生と死を考える会」というものを作って歩いた人として有名です。同時にアルフォンス・デーケン神父さまは、私が東京にいた頃、上智大学の「死の哲学」という講座の教授でした。
  その頃、仕事の関係でよくお付き合いをさせていただいたという記憶が残っています。彼の授業をよく聞かせてもらいに大学まで行って、話の面白さと、内容の深さに驚いた記憶があります。
  まだ、わたしが尾道カトリック教会の主任司祭であったとき、真新しい教会の二階で教育テレビを見ていた時、「アルフォンソ・デーケン神父の半生」というドキュメンタリー番組を放送していました。非常に驚き、真剣に見させていただきました。
  そこで見たことは、今生きていて、明るくてユーモアに満ち溢れたA・デーケン神父さまからは想像もできない過去の出来事が語られていました。
  彼が4歳の時、彼の故郷のドイツではナチスドイツが台頭し「ユダヤ人」が迫害されて大虐殺が行われようとする少し前のことだったそうです。デーケン神父さまのお父さんは、近所のユダヤ人の家庭ととても親しくされていたそうです。ユダヤ人に対する政府の厳しさが生活しにくい状態を作っていたとき、たとえば買い物とかいろいろな事柄で困っていた時に助けの手を差し伸べていたそうです。
  ある日、近所で大きな物の壊れる音がして、お父さんとデーケン少年は、走って音がしたところに行くと、親しくしているユダヤ人の家族が、ナチスの兵隊によって連行されようとしていたそうです。
  お父さんは、兵隊とユダヤ人の間に入り、両手を挙げてそのことを止めさせようとしたそうです。その時ナチスドイツの士官が発射した数発の弾を受けてデーケン少年が見ている前でお父さんは死んでいったそうです。
  彼は、生きるとは何かと言うことを、歳を重ねるにつれて深く考えるようになったと語っています。そして司祭の道を選び今日に至っていると述べています。
  死と出会うことは、今をどのように生きるべきかを考えさせてくれるという一つの例なのかもしれません。
 
校長 山口道晴