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校長先生のお話

10月20日の創立記念日によせて
2012-10-17
10月20日は、福山暁の星女子中学・高等学校の創立記念日です。思うに去年の創立記念日からさらに一年が過ぎ去っているわけです。今年は、ちょうどその日は修学旅行でカナダにいることも何とも不思議な気がしています。
  そもそも、今から65年前のバチカンで「マリー・テレーズ・ド・スビラン」という暁の星学院の経営母体である「援助マリア修道会」の創立者の列福式が行われています。たまたま日本からその式にあずかっていたイエズス会のラサール神父の招きに応えて1947年12月に4人のシスターが福山に到着しています。創立者自身もキリストの救いのメッセージを伝えることを使命としていたのですから、当時の総長であったスール・マリー・エリーズは、ラサール神父の招きに対して「神からの呼びかけ」ととらえ、日本にシスターを派遣することを決定してくださったのです。
  また、戦後の荒廃し、混乱期にあった日本の教育界の現状は、大変厳しいものがあったと思われます。この現状から日本の子どもたちに教育を与え、救わねばならないと思ったのもうなずけます。なぜならラサール神父は、自らも被爆しながらも、広島を離れず、戦後の広島で生きていたからです。原爆によって破壊しつくしされた広島の街で、幟町に「平和記念聖堂」を建立し(現在、重要文化財)宣教の使命を果たし、多くの苦しむ人、学校もなくただ彷徨っている子どもたちの現状を見ていたからではないのかと考えてしまいます。
  今、学校では、5年生の行事の中に「座禅黙想会」というものが入っています。私たち暁の星の人間教育の中に、「宗教」というとっても独特で他の学校にはない大切な教育が含まれています。同時にそれは心の教育でもあります。ある方の文章の中に「勉強が成果を出すためには、心が整えられていなければならない」という言葉がありました。
  心がきちんと育てられていないなら受験でも普段の授業でも「嫌になったらやめる。もっと楽な方を選びたい」という気持ちを持つのではないかと思うのです。心が整えられているならば、苦しいとき、辛いときにも耐える心、我慢する心を持つことができるのではないかと考えています。またそれがなければ「他者のために生きる」という目標も達成できなくなるのではないでしょうか。なぜなら、他者のために生きるということは、言い難い苦労と忍耐が求められるからです。
  受験を前にした5年生にせめて受験の1年間を忍耐と犠牲を避けずに受け止める強い心を持ってもらいたい。そのために、この「座禅黙想会」というものを行っていると私なりに受け止めています。
  不思議なことに、先ほど、この学校の基礎を築いた援助マリア会のシスターを招いたイエズス会のフーゴー・ラサール神父は、日本のカトリックと日本に「禅の世界」を開いてくれた人なのです。著書に「禅・悟りへの道」という著書があります。私もまたローマで初めてイエズス会の門脇佳吉神父様の1週間の参禅会に参加させていただき、東洋の霊性について体験させてもらいました。
  このように、自分の心を見つめることの大切さと被爆しながらも日本人のために尽くしたフーゴー・ラサール神父の生き方には、強い心と強い信仰が見え隠れしていることにも気が付きます。考えて見ると不思議なことですが、カトリックの世界に東洋の霊性を持ち込み、観想の道への前準備としてこの座禅を導入したラサール神父は、凄い人であると改めて思います。
  創立記念日に、日本に招いた側であるイエズス会のフーゴー・ラサール神父について考えていた時に、学校と不思議な関係があるものだなと思い書かせていただきました。

校長 山口道晴
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