校長先生のお話

わたしの道しるべ3
2011-06-24
  私の留学の3年余は、はじめて孤独の中で自分と向き合い、対話し、自分の生き方について、深く考え始めた時期であったと思います。勿論司祭職について考えたのではなく、これからの司祭としての生き方について考え始めた最初の時期であったと思います。自分とぎりぎりのところで向き合えたのは、イタリアという異国の土地で言葉も文化も違う所だったからかもしれません。
 教皇庁立グレゴリアン大学(イエズス会)の「霊性神学部」へ通いました。イタリア人の学生が半分くらいいるところで非常に厳しいイタリア語での授業と試験がありました。何度も自分に絶望し、何度も試験前夜に試験のときに何も答えられないで困っている夢をみたり、眠れないことが続きました。校長に就任してから1か月近くなぜかその頃のことを夢に見ました。
  最後の試験(修士号試験)の折、ラテン語の辞書とイタリア語の第2ヴァチカン公会議公文書全集をもって教授室のドアを叩いた時の恐怖感、学部長をはじめとして7名の教授に囲まれての最終試験。「Congraturazioni」(おめでとう)と学部長から言われて、ボーっとした頭に浮かんだことは「これで終わった」という安堵感と「日本に帰れる」という希望が生まれたことを鮮明に覚えていますが、どんな試験を受けたかは、まったく覚えてないのは不思議です。
  留学というのは、振り返ってみると多くの事柄を学び、多くの人々と出会い、自分がいかに何も知らないかを思い知らされる時であったと思います。学問だけでなく、文化や生活習慣の違いの中で、貧しい人、苦しんでいる人、悩んでいる人アフリカからの移民の人たちとの出会い、ジプシーの人たちとの交流などを通して自分もまた極東からきた一人の異邦人であることを強烈に自覚させられました。
大学院の2年の授業の中に「東洋の霊性」という授業があり「ヨガ」の授業と「禅」の授業を取らせてもらいました。ヨーロッパの各地から多くの学生がつめかけ300名を超える生徒を集めていました。多くの学生は、私が日本人だと知ると「何日座れば悟りが得られるのか?」と聞きます。「私も座禅は初めてなのでわからない」と答えるとがっかりとした顔になっていました。
   東洋の霊性がなぜこんなに人気があるのかは、最後までわかりませんでした。しかし、彼らの多くが心の奥深いところで人間として「変わることのない確かな平和や平安」を求めて来ていることだけは確かなようでした。
  イエス様の生き方を通して、マリア様の生き方を通して本当の人間としての生き方を伝えながら、それぞれ国の伝統的な文化の中にある貴重な霊性を取り入れることで、より活きいきとした、前向きの生き方を伝えられたら良いと今は考えています。

校長 山口道晴