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校長先生のお話

日本二十六聖人
2011-02-01
  カトリック教会は、2月5日に「日本二十六聖人」を記念して祝います。1549年、日本に聖フランシスコ・サビエルによってキリスト教が伝えられましたが、その教えは日本各地に広がり、その後しばらくの間に、多くの信者が誕生しました。当時は豊臣秀吉が日本を治めていましたが、バテレン追放令が発布されたものの、南蛮貿易に実利を重んじていたために大規模な迫害は行われませんでした。
 
  しかし、サン・フェリペ事件をきっかけに、再び禁教令が出されました。挑発的な活動をしたという理由で、京都に住む宣教師やキリスト教徒を捕まえ、処刑するように命令が出されました。そして宣教師と信徒、24名が捕らえられました。彼らは、京都で左の耳たぶを切り落とされて、市内を引き回されました。その後、長崎で処刑するようにという命令を受け、1597年1月10日、一行は徒歩で長崎に出発しました。その後、世話をするために同行していた二人も捕らえられ二十六人となりました。この二十六人には、3人の少年、最年少12歳のルドビコ・茨木、13歳のアントニオ、14歳のトマス・小崎が含まれています。
 
  一行は、厳しい寒さの中、山陽道を下り九州に向かいます。1月20日、三原でトマス・小崎は伊勢にいる母親と兄弟に手紙を記しました。「信仰を堅く守り、再び天国で会いましょう」という励ましが書かれていました。極寒の中、辛い旅を終えて長崎に到着した一行を目にした役人は、一行の中に小さなルドビコ・茨木がいるのを見て、かわいそうに思い、信仰を捨てることを条件に助けようとしましたが、ルドビコは丁重にこの申し出を断ります。処刑の地となった西坂に立てられた26本の十字架を見て、二十六人の顔は輝いていました。口々に祈りや賛美歌を歌う中、槍に両脇を刺し貫かれ殉教したのは10時ごろでした。混乱を避けるために、外出禁止令が出ていたにもかかわらず、4000人を超える人々がそこに集まっていたといわれています。
 
  彼らのことは、日本で活躍していたルイス・フロイスなどの宣教師によってヨーロッパにおいても知られていました。1862年6月8日、殉教によってイエスへの愛を証した26人は、列聖されて聖人に加えられ、日本での信仰の初穂となりました。日本でキリスト教の信仰を理由に、殉教(命を捧げた)した最初の人々です。彼らの流した血が、現在の日本でのキリスト教の基ともなっているのです。
 
校長 朝廣絹子
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