校長先生のお話

死者の月(11月)に寄せて
2010-11-02
 カトリック教会の伝統では、11月は亡くなった人々を記念し、その方々のために祈る月です。そのために、死者の月ともいわれます。この習慣はフランスで11世紀ごろから始まり、14世紀にはヨーロッパで広く行われるようになったものです。本校でも、11月11日は高校で、12日は中学校で追悼式を捧げて、亡くなった方々のご冥福をお祈りするひとときを持ちます。
 
 愛する家族や友人との永遠の別れは悲しく,つらいものです。この世ではもう二度と会うこと、語ることもできません。本当に深い喪失感を味わいます。しかし、キリスト教では、「死」はもう取り返しのつかない「終わり」ではなく、新しい命に渡っていくときであるととらえます。イエス・キリストが十字架上の死を超えて復活されたように、死後天国で、すでに亡くなった愛する人たちと再会し、共に神の愛に包まれて生き続けるという確信があるからです。
 
  亡くなった人や死を思うとき、それは同時に「いのち」「生き方」「生」を思い考えるときでもあります。私の友人は、難病のために4年半の闘病生活を終えて、今年の9月に神様のもとに帰っていきました。身体の自由を少しずつ失っていくという病気は、彼女が大好きなチェロを弾くこと、仕事をすること、書くこと話すこと、というようなことすべてを取り上げていきました。手紙を出すと細かく震える字で「ありがとう」という一言だけのハガキが返ってきていましたが、それもある時から代筆となりました。そして、同じ筆跡で亡くなったことの通知が届きました。今彼女は、神様の近くで、新たな命を生きていることでしょう。闘病生活の中で、私のために祈ってくれていた友人の生き方は、私がいただいている命を誠実に、精一杯生きることを教えてくれました。
 
  死者の月、このひと月は愛する故人を思い祈ると共に、今の自分のいのち、生き方を見つめ直すときとして、大切に過ごしたいものです。
 

校長 朝廣絹子