校長先生のお話
苦しみを越えて
2007-06-01
先日、ある本の中で読んだ一つの詩が心に残り、今でもふと浮かんできます。説明には、ニューヨーク市イースト・リバー沿い東400丁目、34番地にあるニューヨーク州立大学病院物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁にある、南北戦争における南軍の無名兵士の詩であるとありました。
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶように弱いものとされた。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
よりよいことができるようにと病気をいただいた。
幸せになろうとして富を求めたのに、
幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧しさを授かった。
世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、
神を求め続けるようにと弱さを授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
神の意に添わぬものであるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。
(渡辺和子 訳)
私たちは人生で、さまざまな夢、願い、野望・・・などたくさんの思いを抱き、そのために一生懸命努力します。その努力に応えるように、思い通りの結果が手に入ることもあるでしょう。しかし、多くの場合は、それとは反対に、失敗や挫折のように見える結末の方が多いかもしれません。けれども、がっかりしたり、無念に思ったりしながらも、気を取り直して歩んで行く中で、自分が思い、願った以上の恵みを戴いていることに気づくことがあります。
神は、私たち一人ひとりを愛し、良いものを準備して導いてくださいます。私自身の体験からも、多くの場合「私の思い通りのように」ではない神のやり方によって、神は私を導かれます。私たち一人ひとりの歩みもそうではないでしょうか。心を大きく開き、私のためによくしてくださる神に信頼して歩み続けたいものです。
校長 朝廣絹子